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広島家庭裁判所 昭和44年(少ハ)4号 決定 1969年7月11日

本人 E・F(昭二三・七・二七生)

主文

本人を昭和四四年七月一八日から昭和四四年一〇月一七日まで特別少年院に継続して収容する。

理由

一、特別少年院新光学院の院長は、当裁判所に対し、本人の収容を継続すべき旨の決定の申請をした。その申請の理由は、別紙収容継続決定申請書写しのとおりである。

二、本件は、すでに一度収容継続の決定がおこなわれ、それにもとづいて収容されている者につき、さらに、その収容を継続すべきことの申請がなされた事件であるので、そのような収容継続の決定(いわゆる再度の収容継続の決定)がおよそ許されるかどうか、ということが、まず問題となる。

この点につき、当裁判所は、このような決定をすることも許されると考える。そのわけはつぎのとおりである。

少年院法第一一条第二項は、

少年院の長は、前項の場合において………犯罪的傾向がまだ矯正されていないため少年院から退院させるに不適当であると認めるときは、本人を送致した裁判所に対して、その収容を継続すべき旨の決定の申請をしなければならない。

と定め、同条第四項は、

裁判所は、本人が第二項の状況にあると認めるときは、期間を定めて、収容を継続すべき旨の決定をしなければならない。但し、この期間は二三歳を越えてはならない。

と規定している。

少年院法が、その第一一条第一項で、在院者が二〇歳に達したとき(但し、在院者が二〇歳に達したとき、まだ送致後一年を経過していない場合は、送致のときから一年間経過したとき。以下同じ)には、その在院者を退院させなければならない。としながらも、その第二、四項で前掲のような規定を置いている以上、在院者の犯罪的傾向が未矯正で、少年院から退院させるのが不適当であるときは、その在院者を退院させないで、犯罪的傾向を矯正しなければならないこと、裏から言えば、退院させるに不適当である在院者は退院させてはならないことを、相当強く命じているものと見なければならない。それでなければ、前掲のような規定のしかたをし、おまけに、本来二〇歳で退院すべき者を二三歳に達するまで引き続いて収容することを、許すはずはなかろうと考えられるからである。ことの当否は別として、少年院法は、必要あれば、在院者の自由の拘束(相当長期にわたる拘束である)という大きな犠牲を払つても、在院者の犯罪的傾向の矯正をおこなうべきことを命じているのである。このように、少年院法の精神は、一方で犯罪的傾向未矯正のままでは退院させてはならないという面を強く持つている。

したがつて、在院者の犯罪的傾向が未矯正で退院させるに不適当であると認められるかぎり、在院者が二三歳にいたるまでのあいだは、何度でも、収容継続の決定をして、それにもとづいて収容を継続することが許されるものと解すべきである。

このような考えに対して(イ)それでは、はじめの収容継続の決定で「期間を定め」たことの意味がなくなる。とか、(ロ)何度でも収容継続の決定がなされうることになれば、在院者の人権の保障が十分でなくなる、とか、(ハ)条文の文理上、収容継続の決定は一度しか許されていないと考えられるとか、(ニ)再度の収容継続の決定をすることは、在院者の犯罪的傾向の矯正にとつて、むしろ悪い効果しか持たない。とか、という点を根拠とする反対の見解がある。

しかし、これらの点は、いずれも、退院させるのが不適当であると考えられるときにも再度の収容継続は許されない、とするための十分な根拠となるものではない、と思われる。それぞれについてのべればつぎのとおりである。

(イ)について。再度の収容継続を許したのでは、第一回目の収容継続の決定の際に「期間を定めて」収容を継続すべき旨の決定をした意味がなくなる、と言えるためには、その期間を定めた根拠そのものがはつきりしていなくてはならない。はじめの収容継続決定の際、期間をどのような点を考慮してどのようにして決めるかということが定まつていないかぎり、二回目以後の収容継続の決定か、はじめの決定で収容期間を定めた趣旨に反するかどうかは、わからないのである。はじめの決定のとき定められた収容期間が、場合によつては第二回目の収容継続決定のありうることを前提として、定められたものであるならば、再度の収容継続決定は、かならずしも、第一回目の決定で期間が定められたことと矛盾しない。それに対し、はじめの収容継続のとき、収容継続は一回しか許されない、との前提のもとに、その期間が定められているならば、再度の収容継続は、期間を定めた趣旨に反することになる。それでは第一回の収容継続の決定をおこなうに際し、期間はどのような基準によつて定められるべきか。再度の収容継続は許されないということを前提にして定められるべきであろうか。もし、そのようにして定められるとしたらどうなるか。もしそういうことになれば、犯罪的傾向矯正のために必要な期間としては、比較的長い期間を定めなければならなくなるであろう。前掲の、犯罪的傾向が未矯正であるため退院させるのが不適当であるあいだは退院させるべきでない、という少年院法の精神を実現するためには、いきおい、将来生ずるかもしれないいろんな事態を予測して、長い期間を定めておかなければならなくなるであろう。そうなると、あとから見た場合、結果的に不必要に長い期間自由を拘束してしまつた、ということになるおそれがある。こういうことは、けつして好ましいことではない。極力避けるべきことである。こういうことを避けるためには、在院者の矯正という目的をある程度無視するか、二回目以後の収容継続の決定もありうることを前提にしてその段階で見込まれる必要最小限度の期間を定めておくかの、いずれかが必要である。再度の収容継続の決定を許さないとする見解は、在院者に不必要な拘束を強いるという危険か、在院者の矯正という目的を無視するという危険かのいずれかを選択しなければならない。当裁判所は、このような見解には賛成できない。当裁判所は、むしろ、最初の収容継続の決定をおこなう際には場合によつては再度の収容継続決定も許されるということを前提に、その段階で考えられる必要最小限度の期間を定め、その期間が過ぎれば、原則として退院させ、不測の事態が生じたことなどのため、退院させるのが不適当であると判断されるにいたつたときに限り、そこでふたたび、収容を継続すべきことを決定すべきである、と考える。そして、もちろん、そのとき定められる期間は、そのとき現在で見込まれる必要最小限度の期間でなければならない。

(ロ)について。人権保障という点から見た場合、一度の収容継続ならば人権が保障されており、二度以上収容継続がなされるときには人権が侵害されることになるというようなことはない。一回の収容継続期間が一定しているものであるならば、再度の収容継続の決定を許さないとした方が、在院者にとつて有利であることはたしかであるが、実際にはそうではないのであるから、再度の収容継続を許さないという解釈の方が許す解釈よりも在院者にとつて有利である、とは、かならずしも言えないのである。

再度の収容継続を許さないという解釈をとつた場合、一回目の収容継続決定で長い期間が定められ、結局在院者が不必要な拘束を受けることになる可能性もあることは、すでにのべたとおりである。また、それ自体問題がないわけではないが、少年院法は、在院者の犯罪的傾向を矯正するためには、在院者の自由の拘束を相当長期間にわたつて(二三歳に達するまで)おこなうことを認めているのであり、その立場を前提にする限り、再度の収容継続の決定により、在院期間が長くなることもやむを得ないというべきである。

(ハ)について。少年院法第一一条の規定の文言は、この問題を解決する決め手にはならない。同条文言が再度の収容継続を禁止している、と読まなければならない必要性はないように思われる。

(ニ)について。たしかに、一度収容継続の決定のあつた在院者に対して、再度、収容継続の決定をしてみても、教育の効果は上らない、という場合も少なくないであろう(したがつて、再度の収容継続の決定をすべきかどうかを考えるに当つては、在院、退院のどちらが好ましいか、ということについては、極力、慎重に判断しなければならない。安易に収容を継続すべきでないことはいうまでもない。)。そういう場合に再度の収容継続を許すべきでないことはいうまでもない。しかし、このことは、およそ、再度の収容継続の決定は認められないものかどうか、ということについての決定的な判断資料とはならない。収容を継続すれば教育効果が上ることはほとんど疑いない、と予測できる場合もあることはたしかなのであり、ここで問題になるのは、そういう場合のことなのであるからである。

このように考えてくると、一方で、不必要な在院をさけ、他方で、退院させるに不適当なものを退院させてはならない、という少年院法の精神を実現するための最良の方法は、再度の収容継続も許される、という前提の下に、必要最小限度の収容期間を定めて収容を継続し、その期間中に不測の事態が起きたことなどのため、最初に定められた在院期間がすぎても、退院させるのが不適当であるという状態が続いている場合には、はじめに定められた期間が経過するときに、もう一度、収容継続の決定をし、そのとき見込まれる必要最小限度の期間を定めて、その収容期間とする、という方法であろうと思われる。

というわけで、いわゆる再度の収容継続の決定も、場合によつては許されるべきものと解すべきである。

三、審理の結果によると、つぎの事実が認められる。

本人は、本来なら、昭和四三年九月一七日に、収容期間終了により退院すべきところであつた。しかし、本人は、入院後の成績が悪く(同僚院生に対して私刑を加える、教官に暴言をはく、等々のおこないがあつた)、そのため、昭和四三年九月一一日に、本人を少年院から退院させることは時期尚早であるとして「本人を昭和四三年九月一八日から昭和四四年七月一七日まで特別少年院に継続して収容する」との決定を受け、この決定にもとづいて、現に収容されている。しかし、本人は、右の収容継続の決定を受けたのちも、まじめに励んで一刻も早く社会に復帰しようとする意欲を示さず、職員の注意をすなおに聞かなかつたり、反則(文身の絵の所持、喫煙等)をおこなつたりしたため、処遇段階もいまだ一級の下の状態にある。もつとも、昭和四四年四月以後は、自分の所属する寮が変つたことも一つの転機となつて、生活態度も上向きとなり、最近は、自分の属する清風寮で最良の成績をとるまでになつている。ただ、このような生活態度は、長い(ほぼ一年半)収容生活をへたのち、最近になつて、やつとめばえてきたものであるだけに、今退院させたのでは、せつかくめばえたこの気持が大きくなり、固まらないあいだに、つまれ、こわされる危険が非常に大きい。こういう状態にある本人に対しては、今しばらく収容を継続し、その間に、せつかくめばえたこの気持を成長させ、固めさせることが必要であると思われる。本人も、収容継続の有無にかかわりなく、これからはしつかり頑張ると言つていることでもあるし、あとしばらく、収容を継続すべきものと考えられる。

このように見てくると、現在のところ、本人を少年院から退院させることは時期尚早であり、なお収容を継続し、そのことによつて、すでにめばえている更生意欲を成長させ、固めさせることが必要であると判断される。そして、上記の目的を実現するための必要最小限度の期間は、諸般の事情を考慮すると、昭和四四年七月一八日から同年一〇月一七日までの三か月であると認められる。

よつて、本件申請を相当と認め、少年院法第一一条第二、四項にもとづき主文のとおり決定する。(なお、本決定書中の傍点は、すべて、当裁判所が付けたものである。)

(裁判官 山下和明)

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